三國清三ヒストリー

Auberge ましけ

北海道増毛の優しいひとときを
- 三國 清三 監修 -

北海道増毛郡増毛町別苅217-1

TEL 0164-53-2222

フレンチの巨匠三國 清三

心においしい景色を愉しむ 現地食材を追求する 増毛出身の三國シェフがプロデュース テーブルにつけば 笑顔が自然と咲く空間 ゆっくりと、流れる 増毛の優しい時間へといざなう

1969年
中学校卒業後、札幌・南16条の米店に住み込みで働きながら夜間の調理師学校に通う。米店の紹介で得意先だった札幌グランドホテルにて修業を開始。半年後、中卒ながら正社員になる。
1971年
札幌グランドホテル総料理長・斉藤慶一に紹介状を書いてもらい帝国ホテルへ。
1973年
20歳で帝国ホテル・村上信夫料理長の推薦により、駐スイス日本大使館の料理長に就任。大使館勤務のかたわら、フランス料理界で有名な「ジラルデ」のフレディ・ジラルデに師事。
1978年
大使館を退勤。引き続きフレディ・ジラルデの元で修業。
1980年
三ツ星レストランの「トロワグロ」、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス、アラン・シャペル」にて修業を重ねる。
1982年
帰国。市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」でシェフとして迎えられる。
1985年
東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業。オーナーシェフとなる。
1989年
ニューヨークのレストラン「ザ・キルテッド・ジラフ」、香港のホテル「ペニンシュラホンコン」にて”ミクニフェスティバル”を開催。
1990年
タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」ホテルにて”ミクニフェスティバル”を開催。
1991年
「ルレ・エ・シャトー協会」、「トラディション・エ・カリテ」に加盟。モナコの「オテル・ドゥ・パリ」にてアラン・デュカス等と共に世界7ヶ国のシェフの一人としてイベントに参加。タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」ホテルにて2度目の”ミクニフェスティバル”を開催。
1992年
タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」ホテルにて3度目の”ミクニフェスティバル”を開催。シンガポールの「FOOD & HOTEL ASIA’92」の「世界料理コンクール」において、2度目のアジア地区代表審査員を務める。アフリカ・ケニアの「ムパタロッジ」にてプロモーションを開催。フランス「オテル・ドゥ・クリヨン」にて”ミクニフェスティバル”を開催。
1993年
フランス・リヨンにて「BOCUSE D'OR 料理コンクール」の日本代表審査員長を務める。ロンドンのホテル「ザ・バークレー」で”ミクニフェスティバル”を開催。エリザベス女王が来訪する。
1994年
フランス・ボルドーワインの普及貢献が認められ、メドック・グラーヴ地区ボンタン騎士団の勲章を受勲。札幌グランドホテル開業60周年記念で「ミッシェル・トロワグロと三國清三のメモリアル・ガラ・ディナー」を饗宴する。「東京ベイヒルトン」ホテルにて”世界の子どもにワクチンを”のチャリティーミクニフェスティバルを開催。
1995年
フランスサンテミリオンにて“プルミエ・グランクリュ・クラセ”VIN EXPO'95大晩餐会のシェフを務める。東京誠心調理師専門学校・創立25周年記念特別講習会を行う。「東京ベイヒルトン」ホテルにて2回目の”世界の子どもにワクチンを”のチャリティーミクニフェスティバルを開催する。中国の「上海ヒルトン」ホテルにて”世界の子どもにワクチンを”のワールド・チャリティーミクニフェスティバルを開催する。糸菊学園・名古屋調理師専門学校・創立46周年記念特別講演会を行う。
1996年
タイの「ザ・オリエンタル・バンコク」開業120周年記念として4度目の”ミクニフェスティバル”を開催する。アジア12ヶ国最優秀シェフ12名を決定するコンテスト"ボンラック・グレート・シェフズ・オブ・アジア賞"を日本代表の最優秀シェフとして受賞。シンガポールの「ラッフルズホテル」にて”ミクニフェスティバル”を開催。
1997年
台湾の「ライライシェラトンホテル」にて”ミクニフェスティバル”を開催。北海道・堀知事より”北海道食大使”に任命される。
1998年
ルレ・エ・シャトー協会の”世界のトップシェフ60人の一人”に選ばれ、ロサンゼルスにて饗宴。
1999年
沖縄・米国海軍基地にて外国人シェフとして初めてボランティアフェアを実施。フランス・ボジョレーにてルレ・エ・シャトー世界5大陸トップ・シェフ5人の一人に選ばれる。「Santi SANTAMARIA」(ミシュラン3ツ星:スペイン)、「Patrick O'CONNELL」(USA2ツ星:ワシントン)、「Thomas KELLER」(USA2ツ星:ロサンゼルス)、「Luisa VALLAZA」(ミシュラン3ツ星:イタリア)、「Nadia SANTINI」(ミシュラン3ツ星:イタリア)、「三國清三」(日本)。フランスの高級レストランの料理人を中心とする組合、「Chambre Syndicate de la Haute Cuisine Francaise」(フランス高級料理組合)に日本人として初めて加入。日本フランス料理技術組合(フランスと日本の組合が相互に協力し、行政との交渉や広報活動、料理人の育成や子どもの味覚教育等に取り組む組織)を発足。
2000年
沖縄・米国基地海兵隊より、1999年3月のボランティアフェアの貢献に対し感謝状を受ける。九州・沖縄サミット福岡蔵相会合の総料理長を務める。
2001年
東京駅「東京食堂Central Mikuni's」をプロデュース。スイス・サンモリッツ世界最高リゾートホテルにてフェアを実施する。フランス・リヨンにて“BOCUSE D'OR 料理コンクール”の審査員日本代表。タイの「ジ・オリエンタル・バンコク」開業125周年記念として5度目の”ミクニフェスティバル”を開催する。「ニューサンノーホテル」(東京)米軍センターにて米国海軍と共にエスコフィエディナーフェアを開催。4,900ドルをユニセフへ寄付。JR北海道「三國シェフプロデュース「ミクニBOX」(フォアグラどんぶり弁当)」発売。
2002年
JR京葉線・海浜幕張駅「アズ・カフェミクニ海浜幕張」をプロデュース。イタリアで世界料理コンクール開催。デモンストレーションを行う。韓国とのサッカーワールドカップ共同開催を記念して、両国の交流グルメフェアを開催。モスクワにてピエール・ガニエ(パリ三つ星シェフ)と食のイベント開催。イタリア・トリノにてその年の世界最高のシェフとしてイタリアスローフード教会主催の晩餐会を務める。”メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン”10周年記念チャリティ・パーティにてディナーメニューの監修。日本フランス料理技術組合の子供への食育活動の功績が認められ、2002年度食品産業技術功労賞「特別賞」を受賞。
2003年
三国が社長を務める会社「ソシエテミクニ」が運営する丸の内のレストラン「ミクニマルノウチ」にて、結婚披露宴に出席した客ら34人が下痢や吐き気などの食中毒症状を発症したとして、千代田保健所は3月1日から1週間の営業停止にした。
2003年
東京・汐留に旧国鉄開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」内の「グラン・カフェ新橋ミクニ」をプロデュース、札幌駅南口に「ミクニサッポロ」開業。北海道スローフード協会・支部役員となる。フランス共和国農事功労章「シュヴァリエ」を受勲。フランスチーズ鑑評騎士の会日本支部シュヴァリエ会員に選出される。
2004年
ギリシャ・シェフ協会、認定名誉会員に選出される。政府の「立ち上がる農山漁村」有識者会議の一員に選出される。「ニューズウィーク日本版」2004年10月20日号「世界が尊敬する日本人100 Japanese」の一人に選出される。「オテル・ドゥ・ミクニ」が、食品衛生優良施設として厚生労働大臣表彰を受賞。内閣総理大臣より「知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会」の委員に任命される。社団法人北海道ウタリ協会より「北海道白老アイヌ食文化大使」の称号を授かる。
2005年
農林水産省、経済産業省主催「食の教育推進協議会」に出席。文部科学省「新しい日本の創造を考える研究会」の講師。社団法人全日本司厨士協会理事に就任。料理専門学校「Culinary Institute of America」にて、“Great Chefs Series” の講師として講演および料理講習の実施。文部科学省初等中等教育過程課「家庭、技術・家庭、情報専門部会」委員に任命される。
2007年
高松市の高松丸亀町商店街再開発ビル高松丸亀町壱番街に姉妹店「ミクニタカマツ」オープン。年数回定期的に三國本人が来店し「ミクニフェア」を開催している。
2008年
自らが監修したレストラン「オーベルジュましけ」が5月1日にオープン。
2010年
フランス農事功労章オフィシェ章を受勲。高松市に2店舗目となる「パティスリーミクニ」オープン。高松丸亀町壱番街2階雑貨店の片隅で提供していたスイーツが好評を得、カフェバーを併設した独立店として出店。夜は392円メニューを提供するなど独自の展開を行なっている。
2013年
11月7日フランスのトゥール大学より「美食学」の名誉博士号を贈られる。
2016年
4月21日増毛町長より「増毛やん衆観光大使」、「増毛かずの子大使」、「増毛フルーツ大使」を任命される。